帰国+近況

台湾への一年の交換留学を先日終え、帰国してきたところで、この文章を今書いている。怠け者であることは重々承知しているものの、帰国してから早三週間の過ぎようとしている中、やっと記す運びとなった。今日は少しく、帰国前のあの心情であったり、帰国してからの感懐、そして新たな生活への所感でも綴ってみよう。

 

 まずは、帰国の直前にy一週間ほどブラブラし、また親しくしていた人々に対し暇乞いをする機会と時間を得たことは、良かったと思う。それによって得た気付きや話し込むことのdきたことは、実に良かった。又自身の「台湾経験」をきちんと言葉にしてまとめなければな、と思ったのもこの時期である。その時間は私にとって畢竟、如何なる意味を有するのか。それは私自身が以後の生活の中で咀嚼し、解釈していくべき性質のものであるはずだ。しかし、早い時期にその原型を言葉にしようと努めることも、又大事であろう。その一年は、日本でこれまでの人生の殆どを過ごしてきた私にとっては「非日常」に分類しうるもので、これまでの私を形成してきた「日常」にとっては、空白の期間である。だからこそ、きちんと”供養”してやる必要もあるように感じる。

 相応の別れも経験した。妙に不思議だったのは、別れそのものに対して愛着がなかったことであり、何処と無く、以後の生活も移動と別れの中で紡がれて行くのではないかとさえ、思われた。ただ、引っ越しなどにも言えることではあると思うが、一定の場所に長く居座ることを前提に計画を建てることは、どうも自分には不向きであるようだ。これまで渡り鳥のような生活をしてきたが、その中で得た感覚も、又無駄ではないであろう。

 

 帰国してからは、隔離生活が待ち構えていた。生憎大した監視体制もないため、それなりに過ごしたという以上はないが、ふと感じたのは、今次の世界的な感染症の流行という事件は、各国をしてその「癖」を表出させるに十分な機会ではなかったか。令和日本は、その行政面での弱みや好きなだけ削ってきた医療体制の脆さ、また「自己責任」論の登場に見舞われることとなったが、これは別の側面から言えば、今回の感染症が「この国ならこうなる」ということを測る非常に良い指標となった、とも言えるだろう。その点で上意下達の呼吸がよく通っている国家が、いわば勝者となり得た。そしてその呼吸は、民主主義を基盤とする国家体制は必ずしも保証しない、という証左でもあった。

ひとまずはこんなところであろう。