年の瀬

早いもので、2020年ももう直終わりを告げようとしている。今年は殆どを台湾で過ごしたが、本当に充実した時間を多く過ごしたように思える。タダでそれなりの額が降ってきて、込み入った心配事などもいくらかを除いては存在しなかったこともあるだろう。こういう時間を得る事ができた、これには感謝しかない。

その一方でやる事も見えてきた。視界が開けてきている。その様な確信がある。やはりその様な閃きはある程度の時間を経て初めて意識されるもので、この先何をし、何で食っていくのかは毫も定かではないものの、この様な感覚は大事にしていきたい。窮則變,變則通。来年以降にやることは少しは明確になった。

今年はある意味で「自らを知る」一年であった。幾多の人との交流、そして読書を通じた精神的な交流。それらは翻って自らはどの様な存在であるのかを知らしめる。それには一人で向き合うことと、外との交流を介すこととの2つの方法がある。今年はその面でその両方に恵まれたと言える。

人付き合いもそうだと感じる。自分をよく知らないで人のことが分かるだろうか。自分を愛せずに他人を愛せるだろうか。少なからぬ人々が歪んだ愛に溺れ、終いには身を滅ぼしてしまうというのも、その根源は自らを反省する事ができない(慌ただしい現代にあっては、その機会が容易には得られないという方が正しいかもしれない)ことに由来するのではと踏んでいる。知己知彼百戰不殆。やはり昔の人は本質を知っているなと思う。我軍のことすら知らずして戦に勝てるわけがないのだ。

そういう意味では現代人が「己に向き合う」時間はどんどん減ってきているんだろうなと感じる。僕が今こうして駄文をせっせと打ち込んでいるのも一つには気持ちを整理し、己と向き合おうとしているからだ。忙しく画一化された世界においてその様な暇はあるだろうか。ともすれば「どうでもいいもの」として片付けられがちなものであろう。

しかし、その反対、本当に「なくてはならないもの」は果たしてどれ程あるだろうか。今年のコロナ・ショックは(恐らくは)人為的でないという点で近年の恐慌では珍しいものだが、功罪決め難いのは「どうでもいいもの」を炙り出したことだろう。

社会を回すということにおいて「実はどうでもいいもの」は掃いて捨てるほどありふれていて、それは通常僕らの目には映ってこない。しかし一旦社会の機能が麻痺寸前に至り、最低限で回すしかない、となれば話は別で、そこで社会は一度「仕切り直し」を経る。そこらで「どうでもいいもの」がどの様にできているのか、どのように社会に嵌め込まれていたのかは、恐慌した政治家達の身振る舞いから容易に分かる。残念ながら日本のコロナ対策はまたしも「変われない国」日本という側面を滲み出してしまった。この局面にあって口だけだなく抜本的な対策を取れなかったことは遺憾でしかない。(本来なら一笑に付されかねない、既得権益の保護がミエミエな政策等は誠に汚点であろう)表面上はまともそうなことを言い、その実民の為には何もせず、おべっか使い共にいい顔をしているのは本当の政治であろうか。全ての人を救うことはできない。しかしみっともないものはみっともないと言うべきであり、言われた側はそれを反省の糧とするのが筋であろう。

 

閑話休題

 

己を知ることは自分の国、帰属するものに対しても改めて自らを定位していくことと無関係ではない。その意味では自分は「自分が思っている以上に日本人であった」(I was more Japanese than I thoughtの直訳。日本語にはこの様な言い方はない)。人はやはりその考え方のクセや身振り、文字の書き方、相槌にしてもその多くを自分の暮らしてきた文化に寄っている。その意味で私は少なくとも今までの人生の3/4以上を日本で暮らしてきたということから、「日本人」なのである。「言葉」が上手いことは集団への帰属を促す。そのような意味で私は「日本人として中国語を知っている」以上にはなれないのだ。外国語のネイティブを目指すということは、究極的にその様な葛藤と戦っていくことだと思う。だからそれを分けて考えているうちはまだ「楽しい段階」なのである。

さて、今年の気付きとしてはもう一つ、「一年は長い」というものがある。そう、長いのである。365日もあれば相当のことができる。別に毎日n時間決まって何かをしろ、とかではなく、単純にこれだけ時間があればそれなりの事はできる、そう気づかせてくれた。この確信はこれからも後押ししてくれるだろう。

 

実りの多い一年であったと思う。冀わん、コロナ騒ぎが収束し民生の安定せんことを。