22歳

昨日に続いて軽く思いを書き連ねてみる。

 

来月僕は22歳になる。思えば21歳の日々は風のように過ぎていき、気づけば残り1ヶ月を切った。22歳といえばかぐや姫・風の「22歳の別れ」であるが、生憎僕にはそんな悲劇は起こりそうもない。しかし、22歳という歳に象徴される、「転機」のようなものがどこかそのタイトルには感じられるのだ。もう少年や少女の時代は過ぎ、自立した「大人」となることを求められる、そういう風潮がまだ確然と残っていたのではないか、そう感じさせるのである(「青春時代」の一節、「貴女は少女の時を過ぎ、愛に悲しむ女〈ひと〉になる」というのも共通しているだろう。そういえばこの歌は同棲時代の終わりを歌ったものである)。

 

21歳。初めて21歳を意識したのはマレーシアに滞在していた時期だったかもしれない。大学2年、19歳の僕は大学三年、四年で来ている人達に対して言い知れぬ断絶を感じていた。その断絶が20を境にするものなのかは分からない。そして去年、20歳の時は終わり、21歳を迎えた。20代の最初の一年が終わるというなんてことない感懐と、「ハタチ」とは二度と言えないことへの一抹の寂しさを感じていたのだった。あれから一年。22歳とは先程も書いたとおり、40年前は確かに「転機」であった。それは今でも多少感じるところはあって、例えば今見ている森昌子さんの動画のコメントでも「22になってから円熟みが増してきた」というものなど、嫌でも目についてしまう。確かにな、とも思いつつ、映像の中の歌手達はものすごく、届きようもないくらい大人びて見える。この一年で然るべき成長はあったか、このことに関して焦りに似た感情がまた騒ぎ出す。

 

その転機であるが、自分はこの先何をして、何を信じて、何を楽しみに生きていくのか、ということに関しては未だ茫漠としたままだ。そのこと自体は別段悪いことではないのかもしれないが、決まっていないことと、もう少しこのまま夢を見させてくれ、という感情が行き違う。少なくとも将来どこかのタイミングで大学院に入り学修を深めたいという思いと、中国・台灣・東南アジアという、この自分とは切っても切り離せない場所について、もっと知りたいという思いはある。これらがどうまとまっていくのかは分からないが、温めておきたいと思っている。

 

思っていたよりも大学4年は何も知らないまま迎えたし、終わりが迫るのもずっと早い。来年も大学にいることは確定しているが、5年もいたからには成果を目に見える形で結晶させたいと思う。21歳が終わる僕の、細やかな抱負である。